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定価:968円(880円+税)
判型:新書
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内容紹介
ボールが怖い、失敗すると怒られるなどの理由で嫌われがちな体育だが、強さや速さよりも重要なことがある。「嫌い」を哲学で解きほぐせば、体育の本質が見える。
先生はエラそうだし、ボールは怖い!
体育なんか嫌いだ!という児童生徒が増えています。なぜ、体育嫌いは生まれてしまうのでしょうか。授業、教員、部活動。問題は色々なところに潜んでいます。そんな「嫌い」を哲学で解きほぐせば、体育の本質が見えてきます。強さや速さよりも重要なこととは?
「『体育』なんて好きにならなくてもいい」のです。最も重要なことは、みなさんが多様な他者とともに、自分自身のからだで、賢く、幸せに生きていくことです。そのためにも、たとえ体育の授業や先生、運動部やスポーツが嫌いになったとしても、みなさん自身のからだだけは、どうか嫌いにならないでください。(「おわりに」より)
先生はエラそうだし、ボールは怖い!
体育なんか嫌いだ!という児童生徒が増えています。なぜ、体育嫌いは生まれてしまうのでしょうか。授業、教員、部活動。問題は色々なところに潜んでいます。そんな「嫌い」を哲学で解きほぐせば、体育の本質が見えてきます。強さや速さよりも重要なこととは?
「『体育』なんて好きにならなくてもいい」のです。最も重要なことは、みなさんが多様な他者とともに、自分自身のからだで、賢く、幸せに生きていくことです。そのためにも、たとえ体育の授業や先生、運動部やスポーツが嫌いになったとしても、みなさん自身のからだだけは、どうか嫌いにならないでください。(「おわりに」より)
目次
はじめに
「体育ぎらい」への変なメッセージ?/これまでの体育ぎらい本との違い/「嫌い」と「好き」のあいだ
第一章 「体育ぎらい」のリアル
嫌いな教科第三位/「体育ぎらい」は昔から/二五〇〇年前のことを学ぶ意味/「体育ぎらい」をリアルに考える/なぜ「体育ぎらい」は目立つのか/「体育ぎらい」の原体験/からだの「かけがえのなさ」と「かえられなさ」/身体観=からだをどのように見ているか/健康診断と筋トレの身体観/スポーツジムやフィットネスクラブの人気/体育の敗北?/花火と踊るちびっ子/「体育ぎらい」と「運動ぎらい」/なぜ体育が嫌いになってしまうのか
第二章 体育の授業がきらい「規律と恥ずかしさ」
体育授業のイメージは「失礼シマース」?/「体育座り」のイロイロ/規律としての体育座り/整列、行進、身だしなみ/「跳び箱を跳ばなきゃダメ?」という難問/歴史をたどれば「体育=体操」だった/「なんで踊らないといけないの?」という難問/いわゆる「公開処刑」について/恥ずかしさの誕生/恥ずかしさと社会性/からだの記憶/本当は先生も恥ずかしい/恥ずかしさと他者/他者を感じるための運動
第三章 体育の先生がきらい「怖くても、ユルくても」
「先生が嫌い」と「教科が嫌い」/先生の「イメージ=像」/よく見られる残念なイメージ/怖そう││体育の先生と暴力/偉そう││生徒指導という役割/命令口調がイヤ/体育の先生は軍人的?/体育の先生はスポーツのコーチっぽい?/「君が論じている体育の先生は、男だけだよね」の衝撃と反省/ユルい体育の先生の姿/ユルい先生が「体育ぎらい」を生む?/先生の空回り、もしくは不幸なすれ違い/そもそも体育を好きにさせる必要はある?/「体育教師らしさ」の問題
第四章 運動部がきらい「体育教師らしさの故郷」
体育の先生と運動部活動/「体育教師らしさ」と運動部の関係/体育の先生は部活が好き/「部活=運動部」というイメージの強さ/帰宅部ってなんやねん!/運動部に所属しているか否か、それが問題だ?/「運動部が嫌い」を分けてみる/運動部じゃないけど運動部が嫌い/運動部活動と暴力の問題/生徒をコントロールしているという錯覚/「専門バカ」の「体育ぎらい」/体育の授業はレベルの低い運動部なのか/運動部活動と体育の授業は関係ない/運動部の価値は、やってもやらなくてもよいこと/部活をやめて体育の先生になる/運動部活動と体育授業の共通点
第五章 スポーツがきらい「残酷で、すばらしい文化」
スポーツは気晴らしである?/スポーツ、この残酷なるもの/「Bちゃんがチームにいたら勝てない」/競争しなきゃダメなのか/プロ選手から考える/ドッヂボールは野蛮?/ゲームの内と外/スポーツで何が育つのか/スポーツは人を育てる……とは限らない/スポーツは一つの文化(でしかない)/体育はスポーツなのか/オリンピックってみんなに必要?/スポーツの「非社会的な魅力」/そもそも体育とスポーツは関係ない/生涯スポーツと言われても……/でもやっぱりやらなきゃ始まらない
第六章 そもそも運動がきらい「だからこそ、からだに還る」
「外で遊びなさい」=「運動しなさい」/健康やダイエットのための運動?/ちょっと待った、そもそも「運動」とは/「運動=スポーツ」という幻想/「歩く」は難しくてスゴイこと/文字を書きボールを投げる、運動の豊かさ/できるようになる=身体技法の獲得/一つの身体技法としてのスポーツ/階段かエレベーターか、からだが選んでいる/からだが変わると世界が変わる/運動って面白いはず/「からだが私」という考え方/からだが変わるとは私が変わること/変わることは怖いこと?/力を入れるだけでなく抜くことも大事/体育で「寝方」を学ぶ?!/強くでも速くでもなく「賢く」/この「からだ」で動きながら生きていく
おわりに
走れない彼と一緒に、ひたすら歩いた授業/「からだ」は嫌いにならないで!/さいごに
「体育ぎらい」への変なメッセージ?/これまでの体育ぎらい本との違い/「嫌い」と「好き」のあいだ
第一章 「体育ぎらい」のリアル
嫌いな教科第三位/「体育ぎらい」は昔から/二五〇〇年前のことを学ぶ意味/「体育ぎらい」をリアルに考える/なぜ「体育ぎらい」は目立つのか/「体育ぎらい」の原体験/からだの「かけがえのなさ」と「かえられなさ」/身体観=からだをどのように見ているか/健康診断と筋トレの身体観/スポーツジムやフィットネスクラブの人気/体育の敗北?/花火と踊るちびっ子/「体育ぎらい」と「運動ぎらい」/なぜ体育が嫌いになってしまうのか
第二章 体育の授業がきらい「規律と恥ずかしさ」
体育授業のイメージは「失礼シマース」?/「体育座り」のイロイロ/規律としての体育座り/整列、行進、身だしなみ/「跳び箱を跳ばなきゃダメ?」という難問/歴史をたどれば「体育=体操」だった/「なんで踊らないといけないの?」という難問/いわゆる「公開処刑」について/恥ずかしさの誕生/恥ずかしさと社会性/からだの記憶/本当は先生も恥ずかしい/恥ずかしさと他者/他者を感じるための運動
第三章 体育の先生がきらい「怖くても、ユルくても」
「先生が嫌い」と「教科が嫌い」/先生の「イメージ=像」/よく見られる残念なイメージ/怖そう││体育の先生と暴力/偉そう││生徒指導という役割/命令口調がイヤ/体育の先生は軍人的?/体育の先生はスポーツのコーチっぽい?/「君が論じている体育の先生は、男だけだよね」の衝撃と反省/ユルい体育の先生の姿/ユルい先生が「体育ぎらい」を生む?/先生の空回り、もしくは不幸なすれ違い/そもそも体育を好きにさせる必要はある?/「体育教師らしさ」の問題
第四章 運動部がきらい「体育教師らしさの故郷」
体育の先生と運動部活動/「体育教師らしさ」と運動部の関係/体育の先生は部活が好き/「部活=運動部」というイメージの強さ/帰宅部ってなんやねん!/運動部に所属しているか否か、それが問題だ?/「運動部が嫌い」を分けてみる/運動部じゃないけど運動部が嫌い/運動部活動と暴力の問題/生徒をコントロールしているという錯覚/「専門バカ」の「体育ぎらい」/体育の授業はレベルの低い運動部なのか/運動部活動と体育の授業は関係ない/運動部の価値は、やってもやらなくてもよいこと/部活をやめて体育の先生になる/運動部活動と体育授業の共通点
第五章 スポーツがきらい「残酷で、すばらしい文化」
スポーツは気晴らしである?/スポーツ、この残酷なるもの/「Bちゃんがチームにいたら勝てない」/競争しなきゃダメなのか/プロ選手から考える/ドッヂボールは野蛮?/ゲームの内と外/スポーツで何が育つのか/スポーツは人を育てる……とは限らない/スポーツは一つの文化(でしかない)/体育はスポーツなのか/オリンピックってみんなに必要?/スポーツの「非社会的な魅力」/そもそも体育とスポーツは関係ない/生涯スポーツと言われても……/でもやっぱりやらなきゃ始まらない
第六章 そもそも運動がきらい「だからこそ、からだに還る」
「外で遊びなさい」=「運動しなさい」/健康やダイエットのための運動?/ちょっと待った、そもそも「運動」とは/「運動=スポーツ」という幻想/「歩く」は難しくてスゴイこと/文字を書きボールを投げる、運動の豊かさ/できるようになる=身体技法の獲得/一つの身体技法としてのスポーツ/階段かエレベーターか、からだが選んでいる/からだが変わると世界が変わる/運動って面白いはず/「からだが私」という考え方/からだが変わるとは私が変わること/変わることは怖いこと?/力を入れるだけでなく抜くことも大事/体育で「寝方」を学ぶ?!/強くでも速くでもなく「賢く」/この「からだ」で動きながら生きていく
おわりに
走れない彼と一緒に、ひたすら歩いた授業/「からだ」は嫌いにならないで!/さいごに
著者略歴
坂本 拓弥(サカモト タクヤ sakamoto takuya)
坂本拓弥(さかもと・たくや):1987年東京都生まれ。千葉大学教育学部を卒業。東京学芸大学大学院連合学校教育学研究科を単位取得退学。博士(教育学)。明星大学教育学部助教を経て、現在は筑波大学体育系助教。専門は体育・スポーツ哲学。特に身体論と欲望論。共編著に『探究 保健体育教師の今と未来 20講』(大修館書店)、共著に『スポーツと遺伝子ドーピングを問う:技術の現在から倫理的問題まで』(晃洋書房)、『はじめて学ぶ体育・スポーツ哲学』(みらい)などがある。
タイトルヨミ
カナ:タイイクガキライ
ローマ字:taiikugakirai
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