近刊検索 デルタ

2022年9月13日発売

彩流社

出版社名ヨミ:サイリュウシャ

マカオ黒帯団

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内容紹介
地下組織から誹謗の真犯人の《自殺》を明かされた。広州支部への期待が膨らむも天候不順を予感する。薩摩の漂流民・謝五郎はいかに身を処するのか…

1757(乾隆22)年以降、西洋貿易は広州一港に制限された。茶、生糸、絹の輸出は莫大な利益をもたらし、公行は独占の代償として清朝に独占料を支払った。行商たちに大班と呼ばれた「英東インド会社貿易委員会委員長」が貿易窓口。互いに民間の独占組織同士の貿易である。これを「広東貿易体制」と呼ぶ。一方マカオでは鴉片禍が深刻化。英東インド会社が貿易赤字(茶、絹を銀で購入)を埋めるため、インドで鴉片の卸売り(銀との交換)を行い、自由商人らがマカオや広州に密輸入した結果である。米宣教師が月刊誌『チャイニーズ・リポジタリー』を刊行したのは1832年5月。西洋社会に警鐘を鳴らし、中国の革命を叫ぶ論説も掲載。中心にはアメリカン・ボード(会衆派海外宣教師派遣団)のイライジャ・ブリッジマン牧師がいた。独人宣教師カール・ギュツラフや英人牧師ロバート・モリソン等の協力者たちの多くが献身的な活動を展開。ポルトガル領のマカオは雑多な人びとの住む半島。1839年6月20日(貿易閑散期)の発表では清国人が7033人。白人男性2164人、白人女性2350人。加えて男奴隷471名、女奴隷627名。英国は1833年、本国における奴隷制度を正式に廃止。だが植民地においては黙認状態がつづいた。マカオはルソン島(現フィリピン)とおなじく避難民の受け皿ともなった。邦人関係では桃山時代末から徳川時代初期にかけてキリシタンの亡命者が渡り、海難漂流者も居住が許された。マカオに定住した薩摩の漂流民・謝五郎は空腹に苛まれる。6年後の1833年、日系有力者の援助で孤児院を設立。道教の道士に己の立ち位置を悟らされる。風評、疫病、放火未遂等に遭うも、西洋人らとの交流で一部解決に向い、広州に支部設立を思いつく。阿片禍の深刻化で西洋列強の牙を痛感、清国の制度にも違和感を覚える。廃船の払下げをうけ「青龍汗」と命名。女児の批判を凌ぎつつ、孤児らに独立独歩を覚悟させた。脱藩武士も雇用。青龍汗は焼討されたが英人女性の望外な助力が得られ、運営は自分一人でないと再認識したのであった。
著者略歴
野上 勝彦(ノガミカツヒコ nogamikatsuhiko)
NOGAMI Katsuhiko. のがみ・かつひこ 1946年6月、宮崎県都城市生まれ。慶應義塾大学文学部独文科中退。早稲田大学第二文学部英文学科卒業。早稲田大学大学院英文学科修士課程修了。英国ウォリック大学大学院欧州演劇科修士課程修了。英国バーミンガム大学大学院シェイクスピア学科博士課程修了(Ph.D.)。これまで、千葉工業大学工学部教授、早稲田大学文学部及び大学院非常勤講師。明治大学文学部兼任講師。跡見学園女子大学文学部兼任講師。千葉大学教養部、目白学園女子短期大学、芝浦工業大学工学部、日本大学生産工学部、大東文化大学文学部の非常勤講師等を務める。 著書に『〈創造〉の秘密 シェイクスピアとカフカとコンラッドの場合』(彩流社、2018年)、『暁の新月  ザ・グレート・ゲームの狭間で』(彩流社、2019年)、『始源の火 雲南夢幻』(彩流社、2020年)、『疾駆する白象 ザ・グレート・ゲーム東漸』(彩流社、2021年)がある。
タイトルヨミ
カナ:マカオクロオビダン
ローマ字:makaokuroobidan

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