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2020年3月7日発売

芙蓉書房出版

出版社名ヨミ:フヨウショボウシュッパン

岩崎小彌太関係史料 書翰と追想

書翰と追想
尚友ブックレット
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内容紹介
三菱財閥の第4代総帥として日本最大の重工業グループを完成させた岩崎小弥太の書翰285通(明治33年~昭和20年)と没後の追悼文・追想28編などから成る史料集。

 1916(大正5)年7月、岩崎久彌の後を受け三菱合資会社の社長に就任した岩崎小彌太は、以後30年近くにわたり三菱(合資会社、のち株式会社三菱社、株式会社三菱本社)を指導し続けた。
 大正・昭和戦前期の時代状況に合わせた組織改革を推進し、事業各部門(造船・製鉄・倉庫・商事・鉱業・海上火災保険・銀行)を順次株式会社として独立させ、多角的事業経営(コンツェルン形態)を展開した。また、自らの経営理念を社内に告示し、「三綱領(所期奉公・処事光明・立業貿易)」は現在も三菱各社の社是となっている。利益至上主義に陥ることなく、投機を排した節度ある事業展開を説いた小彌太の姿勢は本書収録の史料からよく分かる。
 さらに、日中戦争やアジア・太平洋戦争に対応するために本社の統轄機能を高めるべく、さまざまな社内改革を断行し、三菱造船会社と三菱航空機会社を合併して三菱重工業株式会社(1934年)を誕生させたことに象徴されているように、重化学工業・軍需産業部門への傾斜を強めることになったのも小彌太の主導するところが大きい。国家の要請に応じ、三菱が総力を挙げて天皇および国家のために尽くすことが小彌太の使命だったのである。
目次
第一部 書 翰
岩崎小彌太書翰(岩崎久彌・中村春二・渋沢栄一・諸橋轍次・石黒俊夫他への書翰285通)
関係書翰等(小彌太宛書翰6通、祝辞・挨拶原稿など4編)
第二部 追 想
一『養和会誌』会長追悼号(昭和21年5月)に収められた追悼文21編
二 追 想(三島徳七・諸橋轍次・高杉晋一らの追想文7編)

解説 荒船俊太郎
登場人物履歴(書翰文中に登場する人物184人の履歴、50音順)
岩崎小彌太 年譜 岩崎彌太郎家 家系図 岩崎彌之助家 家系図
著者略歴
尚友倶楽部(ショウユウクラブ shouyuukurabu)
旧貴族院の会派「研究会」所属議員により1928年に設立された公益事業団体。学術研究助成、日本近現代史関係資料の調査・研究に取り組んでいる。その成果は、『品川弥二郎関係文書』『山県有朋関係文書』『三島弥太郎関係文書』『阪谷芳郎東京市長日記』『田健治郎日記』などの資料集として叢書46冊、ブックレット34冊が出版されている。
荒船 俊太郎(アラフネ シュンタロウ arafune shuntarou)
1977年、神奈川県出身。日本大学文理学部人文科学研究所研究員、横浜市立大学・日本大学・神奈川工科大学非常勤講師・中央大学兼任講師。早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程史学(日本史)専攻満期退学、博士(文学)。早稲田大学大学史資料センター助手・日本学術振興会特別研究員(PD)等を経て現職。 主要業績:共編著『近代日本の政党と社会』(日本経済評論社、2009年)、『明治期の天皇と宮廷』(梓出版社、2016年)。論文「大正前・中期の西園寺公望と「元老制」の再編」(『日本歴史』760号、2011年9月)、「大正後期の松方正義と「元老制」の再編」(『史学雑誌』122巻2号、2013年2月)等。
タイトルヨミ
カナ:イワサキコヤタカンケイシリョウ
ローマ字:iwasakikoyatakankeishiryou

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