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2020年8月18日発売

論創社

出版社名ヨミ:ロンソウシャ

シベリア記 遙かなる旅の原点

遙かなる旅の原点
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内容紹介
韓国慶尚北道出身で、文化人類学者、考古学者の加藤九祚氏。その原点となるシベリアでの捕虜・抑留の体験と、日本・朝鮮・ロシア(ソ連)とシベリアについての考察、シベリアを回想する随想、自筆履歴などで構成。序文は川崎建三。
目次
加藤九祚とシベリア……川崎建三
Ⅰ シベリア記
九祚さんの学問と人間……司馬遼太郎
はじめに
第一章 明治初期の沿海州における日本・挑戦・ロシアの出会い
     ──瀬脇寿人の『ウラジオストク見聞雑誌』をめぐって
一、ロシア領ウラジオストクの登場
二、瀬脇寿人とその『ウラジオストク見聞雑誌』
三、ウラジオストクにおける最初の日本人たち
四、ロシア領沿海州における朝鮮人の出現
五、諸岡通訳官のナホトカ紀行
六、瀬脇寿人の見たロシア人
七、瀬脇寿人と金鱗曻との出会い
八、金鱗曻の来日と『雞林事略』
『雞林事略』における朝鮮の風俗
第二章 ウラジオストクにおける日本の「官」と「民」
一、「官」としての「日本貿易事務官」川上俊彦
二、「民」としての「西本願寺布教場」太田覚眠
三、日露戦争勃発時のウラジオストクにおける「官」と「民」
四、シベリア出兵時のウラジオストクにおける「官」と「民」
第三章 シベリアに生きた一日本人─都築小三治のこと
一、中野二郎とシベリア情報集団
二、都築小三治の見たウラジオストク
三、シベリア奥地へ
四、チタからの手紙
五、中野二郎あての手紙
六、イルクーツクへ
七、日露戦争。小三治の結婚。
八、イルクーツクと日本人
九、ボタイボ金山
十、都築小三治の帰国と当時のイルクーツク
第四章 わたしのシベリア抑留記から        
Ⅱシベリア随想
ウオツカの効用
猟犬アブレックの死
ニーナの思い出
日本人とシベリア女性
ユカルギの葬制
シベリア諸民族と客の歓待(除く?)      
シベリアの精霊像収集の旅           
Ⅲ 履歴と著作
履歴のあらまし
その後の履歴                
主要参考文献/凡例
著者略歴
加藤九祚(カトウ キュウゾウ katou kyuuzou)
加藤九祚(かとう・きゅうぞう) 1922年5月、韓国慶尚北道生まれ。人類学者。創価大学、国立民族学博物館名誉教授。山口県宇部市立上宇部小学校、私立長門工業学校を卒業後、宇部鉄工所工員や小学校代用教員をつとめ、高等学校入学者検定試験を経て、1943年上智大学予科を仮卒業。翌年入隊、派遣先の旧満州東南部の敦化で敗戦を迎え、ソ連軍の捕虜となる。抑留中は東部シベリアの収容所を転々とし、1950年、引揚船で帰国。1953年、上智大学文学部ドイツ文学科を卒業、平凡社に入社。その後、上智大学の非常勤講師などを経て、1975年から86年まで国立民族博物館教授。1998年以降、ウズベキスタン科学アカデミー考古学研究所と共同で、テルメズ郊外でクシャン時代の仏教遺跡の発掘を開始。2016年9月、ウズベキスタンで発掘調査中に倒れ、搬送されたテルメズの病院で逝去。享年94。 著書に『シベリアの歴史』(紀伊國屋書店)『ユーラシア文明の旅』(中公文庫)、『天の蛇──ニコライ・ネフスキーの生涯』(河出書房新社、大佛次郎賞受賞)、『シルクロードの古代都市 アムダリヤの遺跡の旅』(岩波新書)、2001年より年に一度刊行した『アイハヌム──加藤九祚一人雑誌』ほかがある。 ※近著に『アイハヌム 加藤九祚追悼号』(平凡社、2020年6月中旬刊行予定)。
川崎建三(カワサキ ケンゾウ kawasaki kenzou)
東洋哲学研究所委嘱研究員
司馬遼太郎(シバ リョウタロウ shiba ryoutarou)
司馬遼太郎(1923-1996)小説家。作家。評論家。大阪市生れ。大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960(昭和35)年、『梟の城』で直木賞受賞。以後、歴史小説を次々に発表。1966年に『竜馬がゆく』『国盗り物語』で菊池寛賞受賞。ほかの受賞作も多数。1993(平成5)年に文化勲章受章。“司馬史観”とよばれ独自の歴史の見方が大きな影響を及ぼした。『街道をゆく』の連載半ばで急逝。享年72。『司馬遼太郎全集』(全68巻)がある。
タイトルヨミ
カナ:シベリアキ
ローマ字:shiberiaki

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