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定価:1,650円(1,500円+税)
判型:四六
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内容紹介
尾崎放哉と並び称される、自由律俳句の代表的俳人、種田山頭火。放浪の人生のなか、句を詠みつづけ、自ら終の住処と定めた愛媛県松山にて没した。その山頭火没後80年を期に編まれた一草庵時代の句集。山頭火の最後の自筆句帖、山頭火遺稿『愚を守る』、さらに山頭火主宰の「柿の会」の句と松山時代の「層雲」投句を添え纏められた。松山に残された山頭火の遺墨も収める。
目次
1.序
2.一草庵時代の句(種田山頭火)
3.付録
3-1.『愚を守る』山頭火遺稿・跋(髙橋一洵)
3-2.「松山ゆかりの山頭火遺墨」(山頭火を支えた人々)
3-3.山頭火年譜
4.参考文献
5.あとがき
2.一草庵時代の句(種田山頭火)
3.付録
3-1.『愚を守る』山頭火遺稿・跋(髙橋一洵)
3-2.「松山ゆかりの山頭火遺墨」(山頭火を支えた人々)
3-3.山頭火年譜
4.参考文献
5.あとがき
著者略歴
種田 山頭火(タネダ サントウカ taneda santouka)
1882(明治15)山口県西佐波令村(現・防府市)に生まれる。本名は種田正一。
1913(大正2)『層雲』に初入選。「山頭火」の号を用いる。
1916(大正5)酒造業が破産。妻子を連れて熊本に移住。
1919(大正8)心機一転、上京。アルバイト生活を送る。
1920(大正9)妻サキノと戸籍上離婚。
1923(大正12)関東大震災に遭い、熊本に帰郷し仮寓。
1924(大正13)泥酔して市電を止め、報恩寺で参禅の道へ。
1925(大正14)出家得度。僧名「耕畝」。
1926(大正15)すべてを捨てて行乞流転の旅に出る。
1932(昭和7)第一句集「鉢の子」刊行。
山口県小郡町に草庵「其中庵」を結庵。
1933(昭和 8)第二句集「草木塔」、1935(昭和10)第三句集「山行水行」、1936(昭和11)第四句集「雑草風景」、1937(昭和12)第五句集「柿の葉」刊行。
1938(昭和13)山口・湯田温泉に「風来居」を構える。
1939(昭和14)第六句集「孤寒」刊行。
10月1日松山へ。
10月6日四国遍路へ 11月21日松山へ帰る。
12月15日 松山市内の「一草庵」に入庵。
1940(昭和15)句会「柿の会」を結成。
自選一代句集『草木塔』を発刊。
第七句集「孤寒」刊行。
10月11日末明、脳溢血(診断は心臓麻痺)で死去。享年59歳。
タイトルヨミ
カナ:クサモユル
ローマ字:kusamoyuru
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