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2018年10月22日発売

アルテスパブリッシング

出版社名ヨミ:アルテスパブリッシング

ヘルベルト・ブロムシュテット自伝

音楽こそわが天命
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内容紹介
90歳を超えるいまなお、年間80回の演奏会を指揮。
当代最高の巨匠指揮者が、音楽と人生、そして信仰を語るはじめての自伝!

「私たちは完全無欠なものに到達することはできません。
 しかしそれはつねに頭に浮かんでいるのです。
 そして音楽は私たちを救ってくれます。
 音楽は崇高なるものの予感を伝えるのです。」
 ──ヘルベルト・ブロムシュテット

マルケヴィッチ、バーンスタイン、ケージら20世紀の大音楽家たちとの交流、
バッハ、ベートーヴェン、ブルックナーらドイツ音楽の本流へのたゆまぬ献身、
ベルワルド、ステンハマルら祖国スウェーデンの作曲家への尽きせぬ愛情……

シュターツカペレ・ドレスデン、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、
サンフランシスコ交響楽団、NHK交響楽団などの要職を歴任し、
90歳を超えるいまなお、世界中を旅して年間約80回の演奏会を指揮する当代最高のマエストロが、
あたたかく飾りのないことばで、みずからの生涯・音楽・信仰を語りつくす。
目次
日本の読者のみなさんへ(ヘルベルト・ブロムシュテット)
まえがき

イントロダクション

第1章 「もっと賢い音楽をやりたかった」
ドレスデンでのインタヴュー
──シュターツカペレ・ドレスデン首席指揮者としての日々

第2章 「静寂のなかで音楽は根をおろしはじめる」
コペンハーゲンにおけるレオニー・ソニング音楽賞授与
──サンフランシスコ交響楽団の首席指揮者、ハンブルクでの間奏曲、
  ゲヴァントハウスのカペルマイスター

第3章 「子どものころから、ちょっと変わっていた」
ヴェルムランドへのドライヴで
──幼年時代、家族、若いころの音楽的感動

第4章 「ユーモアたっぷり。それがいつも救ってくれた」
ライプツィヒでの週末に
──教育、青年時代の芸術的成長、はじめての契約

第5章 「作曲家は最初にして最後の権威である」
ブングストストルプ訪問のさいに
──作品の分析、解釈、オーケストラとのつきあい方

第6章 「つねにみずからを疑いつつ」
ゲヴァントハウス管弦楽団との演奏旅行にて
──芸術家の責任と使命

第7章 「本はともだち」
エーテボリ訪問
──「ヘルベルト・ブロムシュテット・コレクション」と
  ヴィルヘルム・ステンハマル論

第8章 「真理を見つけたい」
ルツェルンでの会話
──バッハの比類ない偉大さ、ベートーヴェンにおけるメトロノーム

日本版監修者あとがき
訳者あとがき

年譜
栄職・顕彰
ディスコグラフィー
人名索引

口絵
著者略歴
ヘルベルト・ブロムシュテット(ヘルベルト ブロムシュテット heruberuto buromushutetto)
1927年、スウェーデン人の両親のもとに米国マサチューセッツ州スプリングフィールドで生まれる。父は牧師、母はピアニスト。2歳でスウェーデンに戻るも、父の転勤によりフィンランド、スウェーデンの各地を転々とする。同級生よりも2年早く17歳で高校卒業試験に合格し、ストックホルム王立音楽院に進学。専攻は音楽教育、オルガン、合唱指揮であった。その後指揮をT.マンのクラスで学びつつ、奨学金を得てザルツブルクでI.マルケヴィッチの指揮クラスにも3度参加。さらにウプサラ大学で音楽学、心理学、宗教学を専攻。その後再度アメリカに渡り、L.バーンスタインの薫陶を受ける。スウェーデン中東部ノーシェピンの交響楽団を皮切りに、オスロ・フィルハーモニー管弦楽団、デンマーク放送交響楽団、スウェーデン放送交響楽団の首席指揮者を歴任。コペンハーゲン時代にシュターツカペレ・ドレスデンの首席指揮者を兼任し、その後サンフランシスコ交響楽団、ハンブルク北ドイツ放送交響楽団(現NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団)、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団で首席指揮者や音楽監督をつとめた。2005年以降はフリーの指揮者として世界最高峰のオーケストラのかずかずに客演。NHK交響楽団の桂冠名誉指揮者として毎年来日公演もおこなっている。
ユリア・スピノーラ(ユリア スピノーラ yuria supinoora)
ミュンヘン生まれの音楽学者、音楽ジャーナリスト。高校卒業後、演劇を3年間学んだあと、音楽学、言語学、哲学、社会学を専攻。2000-13年『フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング』紙の音楽編集者をつとめたのち、13年以降はフリーの音楽評論家として『南ドイツ新聞』『新チューリヒ新聞』、ドイチュラントフンク(ドイツ放送)を中心に活動している。著書に『現代の大指揮者(Die großen Dirigenten unserer Zeit)』(2005)、『マリス・ヤンソンス 無条件の響き(Mariss Jansons, Der Klang des Unbedingten)』(2007)などがある。
力武 京子(リキタケ キョウコ rikitake kyouko)
大阪大学大学院言語文化研究科准教授。1957年神戸市生まれ(旧姓塩川)。東京外国語大学ドイツ語学科、同大学院ゲルマン系言語専攻でドイツ語・ドイツ文学を専攻。在学中マールブルク大学に留学し、ドイツ語学と音楽学を学んだ。専門は外国語教育、とくにIT技術を活用した外国語学習について。論文に「外国語学習のICT活用とアクティブラーニングの実現に向けて」「身近なICTツールによる協働協調学習とすきま学習の試み──iPadとスマートフォンを使用した2年生の授業の例」(以上大阪大学言語文化共同研究プロジェクト)など。翻訳にJ.ゼルケ『女たちは書く──ドイツ・オーストリア・スイス現代女性作家の素顔』(共訳、三修社、1991)、C.フローロス「アルバン・ベルクの室内協奏曲の秘められたプログラム──意味論的分析」(日本アルバン・ベルク協会編『ベルク年報(2)』所収、1988)などがある。
樋口 隆一(ヒグチ リュウイチ higuchi ryuuichi)
1946年東京生まれ。音楽学者・指揮者。明治学院大学名誉教授。DAAD友の会会長。音楽三田会会長。慶應義塾大学文学部哲学科美学美術史学専攻卒、同大学院博士課程在学中にドイツ学術交流会(DAAD)奨学生としてドイツ留学。テュービンゲン大学でG.フォン・ダーデルセン、U.ジーゲレに師事。1979年、バッハのカンタータにかんする研究(『新バッハ全集』Ⅰ/34)で同大学哲学博士。A.スムスキーに指揮法を師事し、シュトゥットガルト聖母マリア教会で合唱指揮者をつとめた。帰国後、音楽学者、指揮者、評論家として多彩な活動を展開。2000年、明治学院バッハ・アカデミーを設立し、芸術監督に就任。2006年、ライプツィヒ国際バッハ音楽祭に出演したほか、13年にはベルリン・コンツェルトハウスにて山田耕筰《秋の宴》、高田三郎《水のいのち》をドイツ初演。著書に『バッハの人生とカンタータ』『バッハ探究』『バッハから広がる世界』(以上春秋社)、『バッハ』(新潮文庫)、『バッハ カンタータ研究』(音楽之友社)、『バッハの風景』(小学館)ほか、CDにバッハ《マタイ受難曲》《ヨハネ受難曲》、ベートーヴェン 交響曲第9番、《ミサ・ソレムニス》ほか多数。1988年、京都音楽賞研究評論部門賞、89年、辻荘一賞、2002年、オーストリア学術芸術功労十字章、15年、テオドル・ベルヒェム賞を授与された。2007-12年、国際音楽学会日本代表理事、12-17年、同副会長。2017年、第20回国際音楽学会東京大会組織副委員長・プログラム委員長(2018年、日本政府観光局国際会議誘致・開催貢献賞受賞)。
タイトルヨミ
カナ:ヘルベルトブロムシュテットジデン
ローマ字:heruberutoburomushutettojiden

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