水曜社 我が社の一冊 2021
- 島を出る
- 上江洲儀正/著
- 水曜社
- 978-4-88065-515-4
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10歳の少年は、兄に連れられて故郷の石垣島を出た。病気がなおればすぐに帰れると思っていた。長い旅のはじまりだった。ハンセン病の歴史は悲惨である。患者は差別され村の外へ追いやられ、隔離された。療養所内では男性に断種手術を施し、妊娠した女性には堕胎を強要した。「この病気は死んだら喜ばれる」……。1956年、島を出た宮良正吉(みやらせいきち)は現在76歳。大阪で暮らしいまだにやまないハンセン病への差別・偏見の解消をめざし、回復者の語り部として各地で自身の体験を伝えている元患者の半生を描く。内容紹介
10歳の少年は、兄に連れられて故郷の石垣島を出た。
病気がなおればすぐに帰れると思っていた。
長い旅のはじまりだった。
1956(昭和31)年、島を出た宮良正吉(みやらせいきち)は現在76歳。大阪で暮らし、ハンセン病関西退所者原告団「いちょうの会」の会長である。いまだにやまないハンセン病への差別・偏見の解消をめざし、回復者の語り部として各地で自身の体験を伝えている。
ハンセン病の歴史は悲惨である。患者はらい病と呼ばれて差別され村の外へ追いやられ、隔離された。療養所内では男性に断種手術を施し、妊娠した女性には堕胎を強要した。
「この病気は死んだら喜ばれる」……。
回復した正吉は大阪の印刷会社で働いた。社会は荒波だった。恋人ができた。プロポーズの時に回復者だと打ち明けた。「それがどうしたの?」。その言葉にあたらしいふるさとができた。ふたりの子どもに恵まれた。娘に元患者だったと告白してから5 年後、新聞記事で公にカミングアウトし、ハンセン病語り部の道を歩みだした。
本書はロングインタビューの積み重ねにより、ひとりのハンセン病患者の半生を「生の声をできるだけ生のまま」「わたし(著者)自身に教えるように」ハンセン病問題の歴史をかさねあわせて書かれた「長い旅」、その現在進行形の経過報告でもある。
*宮良 正吉(みやら・せいきち)
1945年7月沖縄県石垣町に生まれる。小学4年身体検査でハンセン病罹患が判明。翌年、沖縄本島のハンセン病療養所愛楽園に収容のため島を出る。1961年患者専用列車で高校入学。1965年高校卒業後大阪で就職。2001年らい予防法違憲国家賠償請求訴訟原告団に加わる。2008年はじめて自身の体験を語りはじめる。- http://suiyosha.hondana.jp/