小林秀雄
( )
定価:1,760円(1,600円+税)
判型:A4
書店在庫をチェック
内容紹介
小林秀雄による無伴奏混声合唱のマスターピース。1966年の作品完成及び1967年の楽譜初刊行〔合唱サークル名曲選15〕から60年弱。多くの合唱人に愛されて続けてきた楽譜をリニューアルする。これまで使われてきた楽譜の形はそのままに、より使いやすい楽譜を目指してサイズ調整やローマナイズ挿入などを行った。以前の刊行楽譜〔混声合唱曲集《優しき歌/前奏曲》〕と一緒に使用できる。作曲者が20代の頃から虜となっていた立原道造の詩集『優しき歌』より4篇の詩。「詩に身を任せ、救われたいような心情のもと、素直な心で作曲に取り組み、無伴奏混声合唱の響きが詩魂の導きにより降り立った。」と作曲者は言う。24歳で夭折した詩人の若き情熱が、人の声の響きだけによるオーケストラ的音色を目指して鮮やかに描かれている。1980年代初頭NHK全国学校音楽コンクールでの東京都立八潮高等学校(指揮:平松剛一)による名演が、作品を広める一つの契機となった。
目次
[曲目]
・爽やかな五月に(4:20)
・さびしき野辺(3:30)
・また落葉林で(4:40)
・また昼に(4:40)
・爽やかな五月に(4:20)
・さびしき野辺(3:30)
・また落葉林で(4:40)
・また昼に(4:40)
著者略歴
立原 道造(タチハラ ミチゾウ tachihara michizou)
1914年、東京生まれ。先祖には水戸藩で『大日本史』を編纂した儒家の立原翠軒がいる。旧制一高から東京帝国大学建築科に進んだ。13歳ころから短歌や詩を書きはじめ、高校では手製の詩集「さふらん」を作成。大学では同人雑誌を創刊し、小説や短歌を発表した。学業でも在学中に辰野金吾賞を3回受賞するなど将来を嘱望された。37年に卒業し、建築士として建築事務所で働きながら詩作に打ち込む。堀辰雄、室生犀星に師事し、音楽的に構成された繊細な十四行詩型(ソネット)を作り出した。37年に第一詩集『萱草に寄す』、『暁と夕の詩』を刊行するが、同年秋から体調をこわし、39年3月に結核性肋膜炎のため24歳で死去。入院中に第1回の中原中也賞を受賞している。34年に訪れた信濃追分の風景を愛し、多くの詩の背景としている。作品は前期のほか、没後に堀辰雄が編纂した『優しき歌』が47年に刊行、全集は戦後、数回出されており、筑摩書房が全5巻の全集を刊行。
小林秀雄(コバヤシ ヒデオ kobayashi hideo)
1931年2月12日生まれ、東京都出身の作曲家。東京藝術大学卒。作曲を長谷川良夫、ピアノを水谷達夫、宅孝二、奥川坦、稲垣寿子に師事。1959年・1961年 NHKから委嘱された芸術祭参加作品のラジオ音楽劇2作がそれぞれ芸術祭奨励賞を受賞する。1966年に中田喜直らと「波の会」(現・日本歌曲振興波の会)を創設し、第二代会長を経て、後に社団法人となった同会の名誉会員を務めた。「落葉松」をはじめとする歌曲・合唱曲やピアノ曲、童謡「まっかな秋」、オペラ、器楽曲、小学校校歌など数多くの楽曲を手掛ける。また、本人が直接合唱団を指導することも。東京藝術大学音楽学部講師、愛知県立芸術大学教授、聖徳大学・同短期大学教授、活水女子大学教授などを歴任した他、1979年には文部省派遣在外研修生としてパリに留学した。このほか、ショパンやリストのピアノ作品の校訂を手掛けた。2017年7月25日死去。86歳没。
タイトルヨミ
カナ:ヤサシキウタ
ローマ字:yasashikiuta
※近刊検索デルタの書誌情報はopenBDのAPIを使用しています。
立原 道造 最近の著作
もうすぐ発売(1週間以内)
※近刊検索デルタの書誌情報はopenBDのAPIを利用しています。