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定価:4,950円(4,500円+税)
判型:A5
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内容紹介
ラカン『エクリ』(1966年)の初めての完全版英訳者ブルース・フィンクによる、忠実な読解。シニフィアン連鎖を扱った「無意識における文字の審級」、欲望論「主体の転覆」など、ラカンの代表的論文、概念が明晰な読解で甦る。
「本書は初の試みとして、ひとつの暗黙の挑戦に取り組もうとするものである。すなわち、ラカンをラカンの言葉にもとづいて読むこと、ラカンのテクストを文字に添ってà la lettre――つまり文字どおりに、かつ文字に向きあって――読むことである。」(フィンク)
本書の読解作業は、ラカンの作品のうちに結晶化する文字への感性にたいして、内容の次元からのみならず、実践の次元からも、忠実な応答を試みたものなのである。わたしたち読者もまた文字への感性に忠実に、すなわち「文字に添って」本書を読むことが求められよう。著者の助言どおり、本書の傍らに『エクリ』の仏語原典なり、邦訳なり、英訳なりを用意しつつ、文字から文字へと繰り広げられるラカン読解の妙味を追いかけていただきたい。(「訳者解説」より)
「本書は初の試みとして、ひとつの暗黙の挑戦に取り組もうとするものである。すなわち、ラカンをラカンの言葉にもとづいて読むこと、ラカンのテクストを文字に添ってà la lettre――つまり文字どおりに、かつ文字に向きあって――読むことである。」(フィンク)
本書の読解作業は、ラカンの作品のうちに結晶化する文字への感性にたいして、内容の次元からのみならず、実践の次元からも、忠実な応答を試みたものなのである。わたしたち読者もまた文字への感性に忠実に、すなわち「文字に添って」本書を読むことが求められよう。著者の助言どおり、本書の傍らに『エクリ』の仏語原典なり、邦訳なり、英訳なりを用意しつつ、文字から文字へと繰り広げられるラカン読解の妙味を追いかけていただきたい。(「訳者解説」より)
目次
第1章 「治療の指針」におけるラカンの精神分析技法
自我はすでに十分強い
分析は二項的な関係性ではない
なぜ自らの存在を用いて分析すべきではないのか:マーガレット・リトルが論じる解釈について
なぜ私たちは転移を解釈すべきではないのか:フロイトの同性愛女性の症例
無意識的な欲望を意識的な欲望と混同してはならない:機知のきいた肉屋の妻
不在を喚起すること:強迫症の男に関するラカンの症例
出来事
隠されたカード
夢
欲望とその欲望への軽蔑のあいだを潜り抜ける
なぜ私たちは分析主体に私たちへの同一化を推奨すべきではないのか
第2章 ラカンによる自我心理学三人衆(トロイカ)の批判:ハルトマン、クリス、レーヴェンシュタイン
精神分析を精神分析する
自我心理学の理論的基礎
自我心理学の臨床的アプローチ
アンナ・フロイトの侮辱的な分析主体
情動についての補説
エルンスト・クリス、あるいは私たちが主体の防衛を分析すべきでない理由:新鮮な脳を渇望する男の症例
セミネール第3巻でのクリス
「フロイトの「否定」についてのジャン・イポリットにおける評釈への応答」におけるクリス
「治療の指針」におけるクリス
結論
第3章 「無意識における文字の審級」を読む
ラカンの修辞学
書きもの
発話
文彩
第1 節:文字の意味
散らかった文字くず
言語学を基礎づけるアルゴリズム
思考の連なり:いかなる意味作用も持たない(しかし多くの意義を持った)差異
シニフィアンの「仕様書」
「シニフィエの横滑り」
ラカンの「引用」
言語によって自分が言っていることの真逆のことを伝えることができる
父性の謎めいたシニフィアン
隠喩について
第2 節:無意識における文字
無意識の局所論
シニフィアンの主体、あるいはシニフィエの主体
隠喩と症状
第4章 「主体の転覆」を読む
主体と知の関係
知の体制と真理の体制をひとつに結びつける
欲望のグラフ
グラフ1 の注解
グラフ2 の注解
グラフ3 の注解
完全版グラフの注解
グラフの頂点を横断する運動
結論
第5章 ラカン的ファルスとルートマイナス1
ファルスの強調
なぜファルスのことでそんなに心穏やかでないのか
ラカン的「代数」
第6章 テクストの外で――知と享楽:セミネール第20巻の注釈
発話
ラカンの初期の仕事を再訪する
前科学的な文脈における知
知と全体
数学化なしの形式化
知は享楽の欠乏からはじまる
性別化
性別化の公式
主体と〈他者〉
結論
原注
『セミネール』文献目録
訳者解説
索引
自我はすでに十分強い
分析は二項的な関係性ではない
なぜ自らの存在を用いて分析すべきではないのか:マーガレット・リトルが論じる解釈について
なぜ私たちは転移を解釈すべきではないのか:フロイトの同性愛女性の症例
無意識的な欲望を意識的な欲望と混同してはならない:機知のきいた肉屋の妻
不在を喚起すること:強迫症の男に関するラカンの症例
出来事
隠されたカード
夢
欲望とその欲望への軽蔑のあいだを潜り抜ける
なぜ私たちは分析主体に私たちへの同一化を推奨すべきではないのか
第2章 ラカンによる自我心理学三人衆(トロイカ)の批判:ハルトマン、クリス、レーヴェンシュタイン
精神分析を精神分析する
自我心理学の理論的基礎
自我心理学の臨床的アプローチ
アンナ・フロイトの侮辱的な分析主体
情動についての補説
エルンスト・クリス、あるいは私たちが主体の防衛を分析すべきでない理由:新鮮な脳を渇望する男の症例
セミネール第3巻でのクリス
「フロイトの「否定」についてのジャン・イポリットにおける評釈への応答」におけるクリス
「治療の指針」におけるクリス
結論
第3章 「無意識における文字の審級」を読む
ラカンの修辞学
書きもの
発話
文彩
第1 節:文字の意味
散らかった文字くず
言語学を基礎づけるアルゴリズム
思考の連なり:いかなる意味作用も持たない(しかし多くの意義を持った)差異
シニフィアンの「仕様書」
「シニフィエの横滑り」
ラカンの「引用」
言語によって自分が言っていることの真逆のことを伝えることができる
父性の謎めいたシニフィアン
隠喩について
第2 節:無意識における文字
無意識の局所論
シニフィアンの主体、あるいはシニフィエの主体
隠喩と症状
第4章 「主体の転覆」を読む
主体と知の関係
知の体制と真理の体制をひとつに結びつける
欲望のグラフ
グラフ1 の注解
グラフ2 の注解
グラフ3 の注解
完全版グラフの注解
グラフの頂点を横断する運動
結論
第5章 ラカン的ファルスとルートマイナス1
ファルスの強調
なぜファルスのことでそんなに心穏やかでないのか
ラカン的「代数」
第6章 テクストの外で――知と享楽:セミネール第20巻の注釈
発話
ラカンの初期の仕事を再訪する
前科学的な文脈における知
知と全体
数学化なしの形式化
知は享楽の欠乏からはじまる
性別化
性別化の公式
主体と〈他者〉
結論
原注
『セミネール』文献目録
訳者解説
索引
著者略歴
ブルース・フィンク(ブルース フィンク buruusu finku)
ブルース・フィンク/Bruce Fink/現在、デュケイン大学心理学教授。翻訳に、『ラカン派精神分析入門』(中西之信、椿田貴史、舟木徹男、信友建志訳、誠信書房、2008年)、『精神分析技法の基礎』(椿田貴史、中西之信、信友建志、上尾真道訳、誠信書房、2012年)がある。
上尾真道(ウエオ マサミチ ueo masamichi)
上尾真道(うえお・まさみち)/1979年福岡県生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期過程修了。博士(人間・環境学)。現在、立命館大学衣笠総合研究機構専門研究員。共訳書に、ランシエール『平等の方法』(航思社)、フーコー『悪をなし真実を言う ルーヴァン講義1981』(河出書房新社)、ロバン『モンサント』(作品社)など。論文に「精神分析実践とマゾヒズム」(『I.R.S』12号)、「ジャック・ラカン、理論の実践」(『人文学報』103号)など。
小倉拓也(オグラ タクヤ ogura takuya)
小倉拓也(おぐら・たくや)/1985年大阪府生まれ。大阪大学大学院人間科学研究科博士後期課程修了。現在、日本学術振興会特別研究員。共訳書に、ローズ『生そのものの政治学』(法政大学出版局)、フィンク『後期ラカン入門』(人文書院)。論文に、「担われなければならない肉」(『メルロ=ポンティ研究』19号)、「出生外傷から器官なき身体へ」(『フランス哲学・思想研究』18号)、「ドゥルーズにおける「倒錯」の問題」(『年報人間科学』33号)、「ドゥルーズ哲学における「他者」の問題」(『フランス哲学・思想研究』16号)など。
渋谷亮(シブヤ リョウ shibuya ryou)
渋谷亮(しぶや・りょう)/1979年福岡県生まれ。大阪大学大学院人間科学研究科博士後期課程修了。博士(人間科学)。現在、成安造形芸術大学講師。共訳書に、フィンク『後期ラカン入門』(人文書院)。論文に、「〈事後性〉の反発達論的な発達論:フロイトの〈心的装置〉と〈事後性〉について」(『教育哲学会』107号)、「フロイトの科学と終わりなき回帰」(『近代教育フォーラム』17号)、「フロイトの子ども論」(博士論文)など。
タイトルヨミ
カナ:エクリヲヨム
ローマ字:ekurioyomu
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上尾真道 最近の著作
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