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定価:6,380円(5,800円+税)
判型:四六
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内容紹介
1920年代以降、水平社、部落解放同盟の指導者・国会議員として部落差別と闘い、第二次大戦後は「世界水平」をめざして国内外で活躍した松本治一郎の生涯を、イギリス人研究者が日本の近現代史の流れと重ね合わせて描く。
目次
謝辞
日本語版まえがき
刊行に寄せて
はじめに
第一章 少年・青年時代
一 博多の被差別民たち
二 封建身分制とその改革
三 子ども時代の松本治一郎
四 中国大陸へ
五 帰国
六 福岡の政治と部落関係団
七 博多毎日新聞差別記事事件
八 黒田事件
九 小括
第二章 松本治一郎と水平社
一 水平社の創立
二 九州の水平社
三 関東大震災発生―「錦旗革命」?
四 徳川公爵辞爵要求事件
五 水平社の再建
六 福岡連隊事件
七 岩尾家定の動向―こぼれ話
八 捜査と裁判
九 天皇直訴
一〇 小括
第三章 監獄から議会へ
一 一九三〇年代初頭の治一郎と政治
二 水平社解消の提案
三 治一郎の出獄と水平社の停滞
四 高松地裁判決糾弾運動と水平社の再生
五 水平社と財政と政治
六 一九三六年選挙
七 小括
第四章 松本治一郎の代議士時代の一九三六~四一年
一 政治的背景
二 治一郎の議会活動(一九三六~三七年)
三 水平社と戦争の勃発
四 一九三七年選挙と近衛文麿
五 水平社の時局順応
六 代議士・松本治一郎
七 水平社と戦時の融和運動
八 総力戦の開始と治一郎―小括
第五章 松本治一郎と太平洋戦争
一 総力戦開始時の治一郎
二 一九四二年選挙
三 戦時中
四 他の全国水平社幹部
五 小括
第六章 松本治一郎と占領下の日本
一 降伏後
二 治一郎と戦後憲法
三 戦後初期の解放運動
四 新憲法下の政治活動
五 天皇と「カニの横ばい」拒否事件
六 公職追放
七 部落解放運動の再生
八 福岡の運動
九 松本組
一〇 小括
第七章 一九五〇年代の松本治一郎
一 はじめに
二 治一郎の政界復帰
三 一九五三年選挙
四 反基地運動
五 三池争議と安保闘争
六 一九五〇年代前半の治一郎の国際的活動
七 ラングーンから北京へ
八 治一郎とジョセフィン・ベーカー
九 北京からストックホルムへ
一〇 治一郎とバンドン会議
一一 西欧と北アフリカ
一二 中国、オーストラリア、中国
一三 部落解放運動の戦略
一四 部落差別反対運動
一五 第一〇回大会(一九五五年八月二七日~二八日)
一六 治一郎と一九五〇年代の部落解放理論
一七 小括
第八章 松本治一郎の晩年―一九六〇年代
一 一九六〇年代の治一郎
二 炭鉱労働者と米軍基地
三 最後の訪中(一九六四年)
四 同和政策の動向
五 第二〇回大会と治一郎の最後の演説
六 病に倒れた治一郎、そして告別
七 治一郎亡き後
八 部落解放運動と同和政策
九 引き継がれる「松本精神」―展望
注
参考文献
訳者あとがき
索引
日本語版まえがき
刊行に寄せて
はじめに
第一章 少年・青年時代
一 博多の被差別民たち
二 封建身分制とその改革
三 子ども時代の松本治一郎
四 中国大陸へ
五 帰国
六 福岡の政治と部落関係団
七 博多毎日新聞差別記事事件
八 黒田事件
九 小括
第二章 松本治一郎と水平社
一 水平社の創立
二 九州の水平社
三 関東大震災発生―「錦旗革命」?
四 徳川公爵辞爵要求事件
五 水平社の再建
六 福岡連隊事件
七 岩尾家定の動向―こぼれ話
八 捜査と裁判
九 天皇直訴
一〇 小括
第三章 監獄から議会へ
一 一九三〇年代初頭の治一郎と政治
二 水平社解消の提案
三 治一郎の出獄と水平社の停滞
四 高松地裁判決糾弾運動と水平社の再生
五 水平社と財政と政治
六 一九三六年選挙
七 小括
第四章 松本治一郎の代議士時代の一九三六~四一年
一 政治的背景
二 治一郎の議会活動(一九三六~三七年)
三 水平社と戦争の勃発
四 一九三七年選挙と近衛文麿
五 水平社の時局順応
六 代議士・松本治一郎
七 水平社と戦時の融和運動
八 総力戦の開始と治一郎―小括
第五章 松本治一郎と太平洋戦争
一 総力戦開始時の治一郎
二 一九四二年選挙
三 戦時中
四 他の全国水平社幹部
五 小括
第六章 松本治一郎と占領下の日本
一 降伏後
二 治一郎と戦後憲法
三 戦後初期の解放運動
四 新憲法下の政治活動
五 天皇と「カニの横ばい」拒否事件
六 公職追放
七 部落解放運動の再生
八 福岡の運動
九 松本組
一〇 小括
第七章 一九五〇年代の松本治一郎
一 はじめに
二 治一郎の政界復帰
三 一九五三年選挙
四 反基地運動
五 三池争議と安保闘争
六 一九五〇年代前半の治一郎の国際的活動
七 ラングーンから北京へ
八 治一郎とジョセフィン・ベーカー
九 北京からストックホルムへ
一〇 治一郎とバンドン会議
一一 西欧と北アフリカ
一二 中国、オーストラリア、中国
一三 部落解放運動の戦略
一四 部落差別反対運動
一五 第一〇回大会(一九五五年八月二七日~二八日)
一六 治一郎と一九五〇年代の部落解放理論
一七 小括
第八章 松本治一郎の晩年―一九六〇年代
一 一九六〇年代の治一郎
二 炭鉱労働者と米軍基地
三 最後の訪中(一九六四年)
四 同和政策の動向
五 第二〇回大会と治一郎の最後の演説
六 病に倒れた治一郎、そして告別
七 治一郎亡き後
八 部落解放運動と同和政策
九 引き継がれる「松本精神」―展望
注
参考文献
訳者あとがき
索引
著者略歴
イアン・ニアリー(イアン ニアリー ian niarii)
オックスフォード大学教授。シェフィールド大学大学院で日本語と政治学を専攻。九州大学で研究生として過ごした後、サセックス大学で水平社についての博士論文を執筆。ハダースフィールド大学、ニューカッスル大学、エセックス大学で教鞭をとった後、2004年にオックスフォード大学に着任。著書には、水平社に関するもの(1989年)、英国と日本の製薬産業政策に関するもの(1995年)、日本・韓国・台湾の人権に関するもの(2002年)、そして日本の政治に関する教科書『近代日本の国家と政治』(The State and Politics in Modern Japan、2002年)がある。本書は2010年に英語で出版されたものである。現在、同和政策の流れに関する論文を執筆中。寺木伸明・黒川みどり著『入門 被差別部落の歴史』(解放出版社、2016年)の英訳も刊行した。
森山 沾一(モリヤマ センイチ moriyama senichi)
〔公社〕福岡県人権研究所理事長、田川まるごと博物館館長。福岡県立大学名誉教授。九州大学大学院で教育学を専攻、同時に福岡市で地域運動を持続する。熊本商科大学、佐賀大学で教鞭をとった後、福岡県立大学在職中に「社会『同和』教育の地域的形成に関する研究」論文で博士学位取得。著書に『社会教育における人権教育の研究』(科研費助成出版、福村出版、2011年)、『被差別部落の歴史と生活文化―九州部落史研究の先駆者・原口頴雄著作集成―』(明石書店、2014年)、『熱と光を願求して―解放教育学の節目にたって―』(花書院、2015年)、『山本作兵衛―日記・手帳―解読資料集』第1~15巻(福岡県立大学、2003年~進行中)など。
〔公社〕福岡県人権研究所プロジェクト(コウエキシャダンホウジンフクオカケンジンケンケンキュウジョプロジェクト kouekishadanhoujinfukuokakenjinkenkenkyuujopurojekuto)
同研究所内には特別プロジェクト松本治一郎・井元麟之研究会がある。今回、研究会内外に呼びかけ、4月より「翻訳補助・監修プロジェクト」チームを結成・活動。メンバーは次の4名である。井上健(福岡市職員・研究所幹事)、古賀裕子(中学英語教員・小郡市部落史研究会)、塚本博和(新宮町嘱託・研究所理事)、森山沾一(上記)。
平野 裕二(ヒラノ ユウジ hirano yuuji)
1967年、福岡県生まれ。翻訳者。子どもの人権連・子どもの権利条約総合研究所・子どもの権利条約ネットワークなど、子どもの権利条約の普及促進に携わるNGOでも活動。主な訳書に『学校犯罪と少年非行』(日本評論社、1999年)、『少年司法における子どもの権利』(現代人文社、2001年)、『裁判官・検察官・弁護士のための国連人権マニュアル』(同、2006年)、『難民の地位に関する法』(同、共訳、2008年)など。
タイトルヨミ
カナ:ブラクモンダイトキンゲンダイニホンマツモトジイチロウノショウガイ
ローマ字:burakumondaitokingendainihonmatsumotojiichirounoshougai
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