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2022年12月27日発売

ふらんす堂

出版社名ヨミ:フランスドウ

三橋敏雄の百句

百句シリーズ
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内容紹介
◆少数派としての矜持

窓越しに四角な空の五月晴(『靑の中』)

 敏雄は十三歳の頃に短歌に関心を持ち、たまたま改造文庫の北原白秋歌集『花樫』を求めたのを手はじめに、同文庫の歌集類を読み続けた。父は俳句を詠んでいらしたが、敏雄は俳句には全く関心を抱かなかったという。
 就職した書籍取次店「東京堂」で、五歳年長の先輩・渡辺保夫に出会い新興俳句を知り、山口誓子を知ったのだった。職場の句会に誘われ初めて出句したのが掲句。
 最初の句集『まぼろしの鱶』では省かれたが、その後に編まれた初期作品を纏めた『靑の中』の一句目に置かれている。「窓越しの」ではない「に」で、空の写生だけで終わらない思いを描いた。昭和十年五月、十五歳の作。

◆解説より
 「俳句研究」の「特集・三橋敏雄」の編集後記に高柳重信は、「三橋敏雄という名が俳壇に聞こえはじめたのは、いわば新興俳句運動の全盛期から晩期にかけてであるが、そのとき彼は、まだ十代の少年であった」「三橋敏雄の復活に俳壇が気づきはじめるのは、もはや昭和三十年の終りから四十年代にかけてであった」「まさに二度にわたって、きわめて出色の新人として登場したことになる」と書き、「伝統とか前衛とかいう単純な色分けの通用しない世界」と記している。
 敏雄の俳句との関わり方は、よい趣味、というものではなかった。よい趣味として程よい俳句に出会っていたなら深入りはしなかった筈。職場の先から誘われて出会ったそれは、芸術の神の采配によってか、風流韻事には遠かった。それは俳句の世界の中心にあるめでたいものではなかった。 
 後日、敏雄は、僕は少数派というところに思いがゆく人間、と言っていらした。まさに俳句界の少数派との出会い、そして共感であった。
著者略歴
池田澄子(イケダスミコ ikedasumiko)
1936年3月25日 鎌倉に生まれ、多く新潟で育つ。 30歳代終り近く俳句に出会い、1975年「群島」入会のち同人。 1983年より三橋敏雄に私淑、のち師事。 1987年12月29日、「群島」主宰・堀井鶏逝去。「群島」終刊。三橋敏雄の勧めで「俳句評論」に準同人として入会、「面」句会に参加。高柳重信逝去により「俳句評論」終刊。その後、八王子の三橋敏雄指導「檣の会」に通う。 1988年「未定」「船団」、1995年「豈」に入会。 2001年12月1日、三橋敏雄、逝去。2016年、発行者・林桂の「鬣」の方々のご尽力で『定本 三橋敏雄全句集』が刊行された。有り難いことであった。 2021年 第21回現代俳句大賞受賞。 句集・『空の庭』(現代俳句協会賞)『いつしか人に生まれて』『ゆく船』『現代俳句文庫29・池田澄子句集』『たましいの話』(宗左近俳句大賞)『拝復』『思ってます』『此処』(読売文学賞、詩歌俳句賞、俳句四季大賞)。 対談集・『兜太百句を読む。・金子兜太×池田澄子』。 散文集・『休むに似たり』『あさがや草紙』『シリーズ自句自解Ⅰ・ベスト100 池田澄子』『本当は逢いたし』。 「豈」「トイ」同人。
タイトルヨミ
カナ:ミツハシトシオノヒャック
ローマ字:mitsuhashitoshionohyakku

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