近刊検索 デルタ

2022年7月9日発売

中西出版

出版社名ヨミ:ナカニシシュッパン

悲しみの夏 北海道空襲を忘れない

北海道空襲を忘れない
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内容紹介
あなたに伝えたい。
戦争の“愚かさ”と“恐ろしさ”

敗戦のひと月前の1945年7月14日と15日の2日間、北海道に大規模な空襲があった。
戦後80年が近づき、空襲や戦時の記憶をはっきりと抱えている人が少なくなりつつある今、忘れてはならないという思いで焦燥と警告を込めて書き綴ったエッセー集。

「北海道空襲」は大戦末期に計画され、現在3000人近くの犠牲が判明している。
少年期に釧路で空襲を体験し、その後北海道空襲や戦後開拓、流氷や捕鯨など、庶民史に関わる著作を書き続けてきた著者が、北海道の歴史にとって唯一の戦禍を今一度思い出し、伝え残さねばならない時代のために記した書。
目次
はじめに

第一章 空襲の日
光る機影――B29の偵察飛行か
B29は飛んで来なかった――七月一五日
あっ、グラマンだ――米軍機の代名詞
防空壕に逃げる――念仏を唱えるお年寄り
防空壕の生と死――壕で死んだ人々
空襲の日の天候――晴れか曇りの分かれ目
青函連絡船全滅――津軽海峡の悲劇
木造漁船への攻撃――逃げられない海上で
機銃掃射の恐怖――艦載機の空襲
計根別飛行場――根釧原野に五カ所も
結婚式の最中に爆弾――石狩空襲の悲劇
札幌にも空襲が――機銃掃射で死者

第二章 犠牲者たち
北海道空襲犠牲者の数――なぜ増えたのか
室蘭の艦砲射撃――一トン爆弾八六〇発
御真影を守るために――奉安殿の記憶
全島の御真影を集めて――奉護壕を造った沖縄
あの子たちがいた七月――子どもたちの犠牲
センセイニアイタイ――白糠空襲
望来空襲で死んだ子どもたち――なぜ小市街地に
氏名不詳者はなぜ――ぼうだらを持った少年

第三章 空襲の後で
空襲資料の湮滅――敗戦で焼却される
絶唱――老父の短歌
綿入れを着て――藤原順子さんの言葉
炭鉱空襲の不思議――炭鉱町の被害は
炭鉱空襲の謎――俘虜収容所との関わりは
強制連行の人たち――朝鮮人、中国人の犠牲
またかの提出見送り――空襲被害者救済法案
陸軍病院防空壕で――地獄絵図の行方

第四章 戦時という時代
アメアメ、フレフレ――勤労動員の女学生
農村青年に召集令状――六人の少年兵の死
軍国の母――崖端で泣いた少年兵の母
少年兵の遺書――土地への執着
空襲の新聞報道は――軍司令部の検閲
ボートが流されて――春採湖で
朽ちていくトーチカ――迎撃もなく標的にもならず
トーチカを掘る――網走市鱒浦の林の中で
銃後を守る防空演習――国防婦人会
イタンキ浜で泣く砂――空襲犠牲者の声
机を並べた朝鮮の子――楊君と金君
イモころを食う――空襲当時の食糧難
空襲時の家庭の心得――戦時は狂気の時代
戦時中のことば――言葉の言い換え
戦時色が伝わる――小学生の日記

第五章 空襲を伝え残す
開戦の日――戦争の時代を生きて
樺太(サハリン)空襲――一〇〇人以上の豊原の死者
湿原のフローラ――愛し子の幻影
米軍の損害――敵も味方も命を失う戦争
三船遭難と交換手九人の死――敗戦後の悲劇
空襲警報と警戒警報――木製看板の謎
天災地変人禍――北海道の災害と文学
潜水艦からのロケット弾――斜里町の艦砲射撃の真相
空襲記念日の集い――全道各地の慰霊
子どもたちの目――空襲の話を聞いた感想

あとがき
著者略歴
菊地 慶一(キクチ ケイイチ kikuchi keiichi)
昭和7(1932)年旭川市生まれ。90歳。 昭和20(1945)年13歳の時に釧路市で北海道空襲を体験する。北大雪の山村に疎開し、戦後開拓を体験する。その後オホーツク管内の小学校、高等学校に勤務する。網走市に在住した44年間に流氷記録、北海道空襲、戦後開拓、捕鯨、童話など多数を執筆出版する。林白言文学賞、北海道新聞文化賞などを受ける。2013年から札幌市在住。 主な著書に『北海道空襲―1945年7月14・15日の記録』『もうひとつの知床―戦後開拓ものがたり』(以上北海道新聞社)、『流氷―白いオホーツクからの伝言』(響文社)、『街にクジラがいた風景-オホーツクの捕鯨文化と庶民の暮らし』(寿郎社)、『沖縄で骨を掘る』(オホーツク書房)、『黄色い川』がある。
タイトルヨミ
カナ:カナシミノナツ
ローマ字:kanashiminonatsu

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