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2022年12月12日発売

琥珀書房

歌集 月陰山(復刻版)

こはく文庫
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内容紹介
金素雲訳編『朝鮮詩集』(岩波文庫)の解説者としてかろうじて世に知られる、朝鮮人作家、尹紫遠(ユンジャウォン、1911-1964)。戦前、朝鮮人初の短歌集『月陰山』(たるうむさん)を本名、尹徳祚の名義で刊行した人物であるが、今ではその存在はほとんど忘れ去られている。
『月陰山』には、遠い記憶の中の朝鮮を描いた「桃の花」連作、一六年ぶりの朝鮮行をつづった「帰郷」、東京での暮らし、日本国内の旅、真珠湾攻撃の日の決意、出征した日本の友人、同胞部落、未来への微かな希望など、日本での生活を詠んだ300首の短歌がおさめられる。
1942年というまさに戦争の最中、金素雲の勧めもあり、「朝鮮最初の歌集」と銘打たれ、「魂の哀鴻史」と評された自伝的短歌集『月陰山』(タルウムサン)を当時の姿のまま現代に届ける。
目次
表紙:玉村方久斗
序:山脇一人
歌:尹徳祚
解説:宋恵媛
著者略歴
尹徳祚(ユントクチョ yuntokucho)
尹徳祚(ゆん とくちょ)、ペンネーム:尹紫遠(ゆんじゃうぉん) 1911年、朝鮮半島蔚山に生まれる。幼い時に朝鮮総督府の土地調査事業により一家は土地を失う。書堂(漢文を中心とした私塾)と植民地下の初等教育を受ける。13歳の時、長兄を頼り単身横浜へ。1942年の時に自伝的短歌集『月陰山』を刊行。徴用を逃れるため1944年に朝鮮半島北部へ(現在の北朝鮮、松林市)。日本軍の武装解除のため米ソ軍の分割占領ラインとして引かれた38度線をこえ、南朝鮮へ移動。「解放」後の混乱する南朝鮮を目の当たりにし、同時代の多くの朝鮮人がそうしたように日本への再渡航を決意。1946年に蔚山から日本へ「密航」。山口県にたどり着く。戦後日本で小説家を志す。1947年5月、金達寿、 金元基、李殷直らとともに在日本朝鮮文学者会を結成し短期間であるが責任者を務める。東京にて朝鮮国際タイムス社勤務、行商などを経て、クリーニング店を妻と経営。戦後の著書に『38度線』(早川書房、1950年)がある。日韓国交樹立の前年、戦後は一度も故郷の土を踏むことなく、1964年に死去。
尹徳祚(ユントクチョ yuntokucho)
尹徳祚(ゆん とくちょ)、ペンネーム:尹紫遠(ゆんじゃうぉん) 1911年、朝鮮半島蔚山に生まれる。幼い時に朝鮮総督府の土地調査事業により一家は土地を失う。書堂(漢文を中心とした私塾)と植民地下の初等教育を受ける。13歳の時、長兄を頼り単身横浜へ。1942年の時に自伝的短歌集『月陰山』を刊行。徴用を逃れるため1944年に朝鮮半島北部へ(現在の北朝鮮、松林市)。日本軍の武装解除のため米ソ軍の分割占領ラインとして引かれた38度線をこえ、南朝鮮へ移動。「解放」後の混乱する南朝鮮を目の当たりにし、同時代の多くの朝鮮人がそうしたように日本への再渡航を決意。1946年に蔚山から日本へ「密航」。山口県にたどり着く。戦後日本で小説家を志す。1947年5月、金達寿、 金元基、李殷直らとともに在日本朝鮮文学者会を結成し短期間であるが責任者を務める。東京にて朝鮮国際タイムス社勤務、行商などを経て、クリーニング店を妻と経営。戦後の著書に『38度線』(早川書房、1950年)がある。日韓国交樹立の前年、戦後は一度も故郷の土を踏むことなく、1964年に死去。
宋恵媛(ソンヘウォン sonhewon)
博士(学術)。著書に『「在日朝鮮人文学史」のために──声なき声のポリフォニー』(岩波書店、2014年/ ソミョン出版[韓国]、2019年)、編著に『在日朝鮮女性作品集』(緑蔭書房、2014 年)、『在日朝鮮人文学資料集』(緑蔭書房、2016年)等、訳書にキースプラット著『朝鮮文化史──歴史の幕開けから現代まで』(人文書院、2018年)がある。
宋恵媛(ソンヘウォン sonhewon)
博士(学術)。著書に『「在日朝鮮人文学史」のために──声なき声のポリフォニー』(岩波書店、2014年/ ソミョン出版[韓国]、2019年)、編著に『在日朝鮮女性作品集』(緑蔭書房、2014 年)、『在日朝鮮人文学資料集』(緑蔭書房、2016年)等、訳書にキースプラット著『朝鮮文化史──歴史の幕開けから現代まで』(人文書院、2018年)がある。
タイトルヨミ
カナ:カシュウ タルウムサン フッコクバン
ローマ字:kashuu taruumusan fukkokuban

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