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2024年3月22日発売

人文書院

出版社名ヨミ:ジンブンショイン

はじまりのテレビ

戦後マスメディアの創造と知
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内容紹介
本格的なテレビ研究の誕生
私たちはテレビの歴史をまだ知らない

1950~60年代、放送草創期のテレビは無限の可能性に満ちた映像表現の実験場だった。演出家や知識人などさまざまな人材が、テレビはどうあるべきかをめぐり激論を交わした知的アリーナであった。その可能性は、いまだ燃え尽きてはいない。本書では、番組、産業、制度、放送学などあらゆる側面から、初期テレビが生んだ創造と知を、膨大な資料をもとに検証する。気鋭のメディア研究者が挑んだ意欲的大作。

「本書では、一九五〇年代から六〇年代前半にさかのぼり、「初期テレビ史」を再考する。日本で初めてテレビ局が誕生した一九五三年から、東京オリンピックが開催される一九六四年前までの、およそ「一〇年間」を対象とする。これはテレビの普及率が加速していく一〇年であり、テレビが誕生して、必死に新しいマスメディアとして確立していこうとした期間でもある。現在のインターネットや動画配信の行く末を考えるためにも、まずは初期テレビの歴史をきちんと読みとく必要があるだろう。メディアの歴史は一定の反復性があるがゆえに、テレビ史からみえるインターネットや動画配信の未来もあるはずだ。テレビ離れとマスコミ批判の時代だからこそ、テレビの歴史を記述しなければならないのである。」(本書より)

◎目次
序論 かつてテレビは芸術だった 

第Ⅰ部 初期テレビの実験場

第1章 初期ドラマの創造――〈お茶の間〉の芸術
第2章 初期ドキュメンタリーの思想――〈テレメンタリー〉の発見
第3章 初期バラエティの創作――〈視覚と音楽と笑い〉の空間 

コラム1 初期ニュースの葛藤

第Ⅱ部 テレビという情報産業

第4章 テレビ立国へ――民放テレビ誕生
第5章 文化的怪獣の波紋――日常のマスメディアとして
第6章 壁のない教室――教養のマスメディアとして

コラム2 広告と初期テレビ 

第Ⅲ部 テレビをめぐる新たなメディア論

第7章 テレビという新芸術――〈テレビ的〉とは何かをめぐって
第8章 学問としてのテレビジョン――「放送学」の誕生
第9章 知識人たちが創るテレビ論――未来学、そして人類論へ

コラム3 マクルーハン旋風とテレビ

おわりに――あとがきにかえて

年表 一九五〇年代~六〇年代前半のテレビ
目次
序論 かつてテレビは芸術だった 
 1 テレビ離れとマスコミ批判の時代に 
 2 テレビが未知のメディアだったころ 
 3 初期テレビ研究を問いなおす 
 4 本書の視点と構成 

第Ⅰ部 初期テレビの実験場

第1章 初期ドラマの創造――〈お茶の間〉の芸術
 1 制約ゆえの新芸術
 2 機械との闘争
 3 前衛としてのテレビ・ドラマ
 4 テレビ・ドラマの芸術性と大衆性
 5 ホーム・ドラマの氾濫
 6 初期ドラマの創造知

第2章 初期ドキュメンタリーの思想――〈テレメンタリー〉の発見
 1 テレビ・ドキュメンタリーの夜明け
 2 テレビが映画を超えたとき
 3 テレメンタリーの文法
 4 テレメンタリーの自壊
 5 初期ドキュメンタリーの創造知

第3章 初期バラエティの創作――〈視覚と音楽と笑い〉の空間 
 1 バラエティ・ショーとアメリカの影
 2 クイズをめぐる〈視覚〉的遊戯
 3 ミュージカル・バラエティの開拓
 4 上方コメディの笑芸
 5 初期バラエティの創造知 

コラム1 初期ニュースの葛藤

第Ⅱ部 テレビという情報産業

第4章 テレビ立国へ――民放テレビ誕生
 1 テレビの原理
 2 日本放送協会独占の解体
 3 正力松太郎の怪行
 4 日本型のテレビ・ネットワークへ
 5 止まらぬ正力の野望――カラーテレビ立国へ

第5章 文化的怪獣の波紋――日常のマスメディアとして
 1 オレンジ・ジュースとテレビ 
 2 日本型受像機の増産
 3 家庭への侵入
 4 テレビが欲しい子どもたち
 5 大宅壮一の呪縛

第6章 壁のない教室――教養のマスメディアとして
 1 白痴化から博知化へ
 2 国家主導の教育テレビ
 3 学校放送論
 4 農村教育としてのテレビ
 5 テレビ越しに学ぶ人びと

コラム2 広告と初期テレビ 

第Ⅲ部 テレビをめぐる新たなメディア論

第7章 テレビという新芸術――〈テレビ的〉とは何かをめぐって
 1 〈テレビ的〉とは何か
 2 テレビ芸術論前史――ラジオ芸術論のはじまり
 3 テレビ芸術論の勃興
 4 テレビ芸術論の凋落
 5 テレビ芸術は幻か――〈テレビ的〉であることの自意識過剰

第8章 学問としてのテレビジョン――「放送学」の誕生
 1 日本のテレビ研究のはじまり
 2 文明論的テレビ論の簇生
 3 「放送学」の成立
 4 「放送学」の志向
 5 「放送学」の相克 
 6 「放送学」の挫折を超えて 

第9章 知識人たちが創るテレビ論――未来学、そして人類論へ
 1 放送雑誌というサロン
 2 知的サークルとしての『放送朝日』
 3 SF的想像力の喚起
 4 人的繋がりが生んだ未来
 5 関西からの問いかけ――『放送朝日』は死んだのか

コラム3 マクルーハン旋風とテレビ

おわりに――あとがきにかえて

年表 一九五〇年代~六〇年代前半のテレビ

引用・参考文献

人名索引
著者略歴
松山 秀明(マツヤマ ヒデアキ matsuyama hideaki)
【著者】松山秀明(まつやま・ひであき) 1986年生まれ。東北大学工学部建築・社会環境工学科卒業。東京大学大学院情報学環・学際情報学府博士課程単位取得退学。博士(学際情報学)。現在、関西大学社会学部准教授。著書に、『テレビ越しの東京史 戦後首都の遠視法』(青土社、2019 年)、共著に『メディアが震えた テレビ・ラジオと東日本大震災』(東京大学出版会、2013 年)、『新放送論』(学文社、2018 年)、『転形期のメディオロジー』(森話社、2019 年)など。
タイトルヨミ
カナ:ハジマリノテレビ
ローマ字:hajimarinoterebi

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